礼拝より Feed

2015年3月 5日 (木)

高校卒業礼拝より ~高3生徒

高3卒業生の言葉です。広島女学院での6年間で得たものについて、語ってくれました。

長いですが、ぜひ読んでいただきたいです。


まず卒業にあたり、私達の6年間の女学院生活を支えて下さった全ての方々に卒業生を代表してお礼申し上げます。受験のための勉強だけでなく人生において大切なことを教えて下さった先生方、いつも自分のことよりも私達子供のことを考え、一番の味方でいてくれた家族、私達が学生生活を快適に送れるようサポートして下さった事務の方々、寒い日も暑い日も朝から晩まで私達の安全を守って下さった警備の方々、毎朝全校生徒に気持ちの良いあいさつをして下さった技術職員の方々、いつも素敵な笑顔でおいしいご飯を作って下さった食堂の方々、みなさんのサポートなしでは私達は今日という卒業の日を迎えることはできませんでした。本当にありがとうございました。

 さて、チャールズチャップリンの言葉に、次のようなものがあります。「人生はクローズアップして見れば悲劇であるが、ロングショットで見れば喜劇である。」私はこの「人生」という部分を「女学院生活」に置き換えるととても納得します。楽しいことだけではなかった女学院生活、思い起こせば数々のつらい思い出や悲しかった出来事があります。それらをクローズアップして当時のことを思い出すと、決して「今ではいい思い出」と笑いながら消化できるものばかりではありません。しかし、卒業する今、この女学院での6年間をロングショットで見たとき、やはり女学院生活は「楽しかった」の一言に尽きます。それは、つらかった思い出も全部、自分の財産になっているからだと思います。こうやって、つらい出来事を忘れてしまうのではなく財産として自分の糧に出来るのが、女学院生の良いところです。そんなエネルギッシュな女学院生だからこそ、私達は今「楽しかった」という一言と共に女学院の6年間という喜劇を終わらせることが出来るのだと思います。

 大好きな女学院での日々で特に輝いていたのが、体育大会や文化祭などの行事です。体育大会の五色対抗リレーでは鼓膜が破れるのではないかというほどみんなで必死に叫んだり、着せつけ競争で変装した先生方をみて失礼なほどゲラゲラ笑いながらその勇姿をたくさんカメラに収めました。私達の学年から初めて行われたチャレンジキャンプでは、広島で一番高い山に登るという、いかにも大変そうな趣旨にやる気をなくし、お風呂がないという事実に驚愕し、トイレに生息する大量の虫に悲鳴をあげました。しかし結局無理だと思っていた登山も高校生のリーダーの方々の力を借りて無事山頂まで登ることができ、最初は虫に悲鳴をあげていた私達も、帰るときにはみんな虫を見てもほとんど動じないほど成長することができました。文化祭では私達が高1になった年から二日間行っていた文化祭が一日に縮小され、さらにHR発表は高1高2合同ですることとなり、生徒の間で混乱が広がりました。しかし、そういった事態にも文句を言って終わるのではなく、しっかり自分たちのしたいことを全力でやり遂げるのが女学院生。当時私は文化祭実行委員だったのですが、高2の先輩方と共同で作業することで、自分たちでは思いつかなかったアイディアをもらったり、初めてのHR発表で分からないことがたくさんあって不安でも、すぐに先輩に相談できたりと、自分たちだけでやるよりもはるかにいいものを発表できました。

こうやって楽しかった行事を思い出せばきりがなく、本当にどれもキラキラしてかけがえのない思い出です。今思えば行事だけではなく日々の授業やお弁当の時間も大切な時間でした。

 また、礼拝は私達女学院生には欠かせないものでした。私は中1の頃から礼拝が好きで、特に、自分の経験がかつての礼拝で言われていた話とリンクした瞬間が大好きです。中1の頃は礼拝で隣人愛といわれても全くピンとこなかったのが、学年が上がるにつれて徐々に理解していき、高2で聖書袋をつくったとき、「顔も知らない誰かのために見返りを求めず愛を込めたプレゼントを贈る、これが隣人愛か!」と、ストンと腑に落ちました。礼拝で話を聞くことで、自分の思考の引き出しが増えます。女学院生は知らぬ間にその礼拝で得たたくさんの引き出しを勉強や、平和学習の際に役立てている気がします。私は三年間宗教委員をやっていたのですが、宗教委員会の中で先生から、昔と比べて礼拝の時間がどんどん短くなっているという話を聞きました。礼拝は、例えどれだけ短くなったとしても、決してなくなってはならない、女学院の命であると思います。私は、この女学院の礼拝という素敵な伝統が残り続けることを心から願います。

女学院の6年間を語る上で何を置いてもはずせないのが友達の存在です。同じクラスでいつも一緒に行動した友達、部活で仲を深めた友達、地元が一緒の友達、一度も同じクラスになったことがないのにいつの間にか仲良くなっていた友達など、たくさんの友達に支えられて私は今卒業します。間違ったことをした時はお互いきちんと叱り合って、嬉しい時は自分のことみたいに一緒に喜び合いながら、6年間を共に過ごしてきたこれらの大切な友達と離れてしまうのが何よりも辛く、もうこれからは女学院でみんなと楽しい思い出を作れないのかと思うと本当に悲しくなりますが、女学院生はきっと死ぬまで女学院生なので、きっと何年後かに同窓会で集まって当時の事を思い出して笑ったり、女学院ではないどこかでまた新たな楽しい思い出をつくるのではないかと思います。そしてそんな日が来ることを、卒業する今から楽しみに待っています。

 私が個人的に大きく成長することになったきっかけは、やはり部活です。私は中高6年間演劇部に所属していました。演劇部は練習はほぼ毎日、上下関係も厳しく、先輩からの指導も容赦がないというなかなかハードな部活でした。しかし、その練習を乗り越えて舞台を完成させた時の感覚はなんとも言葉にし難い喜びで、達成感とか感動などという言葉では片付けられない感覚です。その感覚を味わうために、私達は毎日毎日練習し、何度もケンカをしてきました。スタッフとキャストの意識の差が問題になってケンカに発展したり、最高学年になって後輩への指導はもちろん、同級生同士でも演技指導をしなければならない大変さを知ったり、良い劇をつくるために心を鬼にして後輩を怒ったり、朝練の遅刻が増えて部の雰囲気が悪くなったり、やりたい役がかぶってお互いどうしても譲れなかったり、顧問の先生にえらそうな事を言ったり、たくさん馬鹿なことをして、たくさん学びました。厳しい指導やケンカは、部の仲が悪いからではなく、むしろみんなが劇に本気だから熱くもなるし、ぶつかり合っていたのだと思います。そうやってぶつかりあいながら共に演劇をしてきた仲間、先輩、後輩、そして顧問の先生は私にとって一生の宝です。そしてみんなと出会うきっかけを作ってくれた女学院に本当に感謝しています。

 私が演劇部で学んだ事の中で一番大きかったことは、「自ら考え、自ら行動する」ということです。演劇部の教訓ともいえるこのことは、特に中学の時に徹底されました。先輩から言われたことだけをするのではなく、何か他に部のために出来ることはないかを考え、実行するというものです。高校生になってそれが根付いてきた頃、この教訓は部活に限らず、あらゆる場面で大切なことだな、と実感するようになりました。なんでも目の前に出される課題をこなすだけで良い中学生とは違い、高校生はなにか自分からクリエイトしなければならない機会が増えます。今年のピーススタディーズでは特にその重要性を実感しました。平和学習とは模範解答や全員の意見一致を求めるものではなく、むしろ多種多様な意見を共有し、それらの意見を全ては反映できなくても、よりよい平和実現への道を探していくことであると思います。そのような答えのない「平和」という課題に取り組むことは、用意された答えを当てるのとは訳が違います。そこでは、学校から「こんな意見が欲しい」と要求されることはありません。何を言っても良い、選択肢もない、誰からも何も言われないという自由の中で自分の意見を持つことが、どれほど難しいことであるかを私は痛感しました。ヒントがない中で、自分で考えて、自分なりの答えを出さなければならない、これこそ、「自ら考え、自ら行動する」力が問われます。

きっとこれからの人生、答えのあるものより答えのないものを考える方がはるかに多いと思います。そんな中で、女学院の平和学習で「自ら考え、自ら行動する」力を身につけてきた女学院生は誰の言葉にもぶれない強さを持っていると思います。

この6年間で経験した楽しかったこと、つらかったこと、全てを自分の糧として、広島女学院の生徒であったことを誇りに思い、私達はそれぞれの道を歩んでいきます。

 以上をもちまして卒業の言葉とさせて頂きます。ありがとうございました。

2015年3月 4日 (水)

放送礼拝より  ~加川先生(保健室)

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙5章16節から18節

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」


私は礼拝の中でもお祈りの時間が好きです。理由は2つあります。

1つ目は、お祈りの最初が感謝の言葉で始まるところです。お祈りは、神様に向かって、「今日も新しい朝をありがとうございます」や「ここに集えたことを感謝します」などの言葉で始まりますね。毎日当たり前のように寝て起きて学校に来て、時には「嫌だな」なんて考えながら迎えていた朝を、「ありがとう」という感謝の言葉で迎えることができると、その1日が嬉しい特別な日のように思えて、1日を大事にしようと思いました。

2つ目は、お祈りの最後に、自分ではない誰かのために祈るところです。「学校に来ていない友達が明日は元気になるように」「心や体に痛みを覚えている人に特別な慰めがあるように」などと祈りますね。朝の先生たちの礼拝でも、「登校中の生徒の足をお守りください」とお祈りしています。毎日生活していると、楽しいことや嬉しいことばかりではありませんね。風邪をひいたりけがをしたり、嫌な気持ちになって涙が出たり、気分が沈むこともあります。でもそんなとき、誰かが自分のために祈ってくれている、と思うとちょっと元気が出ませんか。つらい時、お祈りのたびに自分は祈られていることを思い出してもらえればな、と思います。また、元気なときは、周りの人のために祈る心の余裕を持ってほしいと思います。

 

お祈りをします。

神様、今日も新しい朝を感謝します。毎日様々なことがありますが、感謝の心や他者への慈しみの心をもって過ごすことができるようお導きください。心や体に痛みを覚えている人の上にあなたの特別な慰めがありますように。この感謝と願い、主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧します。アーメン

2014年10月25日 (土)

今日の高校放送礼拝より~担当:中村先生(理科)

「わたしたちは見えるものではなく,見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが,見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙 二 4章18節)   

  桜の葉が赤く色づいてきました。上空通路からぜひ見てみてください。植物たちは誰にも何も言われないのに季節の移り変わりとともに,姿を変えていきますね。春には薄ピンクの花が満開になり,その後は青葉がみるみる出てきて,そして寒くなるにつれて紅葉していき,葉を落とす。花や葉などのあの鮮やかなそして様々な色をどうやって植物の中で作り出しているのだろうと感心します。こういうことを思うのは,年を取ってきたからかもしれませんが,みなさんも秋の空の青さや,夜の満月,色づく葉などを時には感じる余裕が持てるといいですね。

 いくら科学技術が発展して,テレビ,写真,動画,新聞など様々なメディアを通して様々なものを知ることができても,実際に目で見たり,体験したりすることにはかなわないと思います。この春に担任していた,高3の生徒たちが,卒業式の後,高校チャペルで,教員と一緒に卒業を祝う会を企画してくれました。生徒たちが,いろいろな先生から前もって,いただいたメッセージを集めたムービーを作ってくれていて,それを見ました。また,高3の教員は,実は少し前から松重先生のピアノの演奏のもと,歌を練習していて,それを最後に歌いました。あのときの,あの場の雰囲気,面白いメッセージに爆笑しながらも,別れの時がついにやってきた何とも言えない悲しさ。うれしいんだけどせつない。あの雰囲気はあの場にいたメンバーしかわからない貴重な時間だったと思います。様々な電子機器が発達するにつれて,私たちは様々な心動かされる瞬間や,楽しいことなどを,写真,映像としてカメラなどで撮影して記録に残したいと思いがちです。だけど,映像に残さないからこそ,その時間をしっかり過ごせる,味わえるということもあると思います。そして,ときどきその思い出を反芻しながら,自分の中でかみしめていく。もしかしたら,自分なりに脚色したり,少し記憶を美しく変えてしまったりしているかもしれないけれど,何か自分が受けた感動や衝撃を,自分の中で振り返ってみるということもいいことじゃないかなと思うのです。卒業を祝う会のムービーをコピーしてみんなに配りたいという生徒もいました。でも,あれはあの時あのメンバーで見たからこそ,後から何回も見ることができるとは思わないで,その時にそれに集中して見て,そしてみんなで共有した雰囲気の中で見たからこそ,よかったのであって,家に帰ってから見るのはちがうんじゃないかなと思い,それはしないことにしました。

 皆さんも様々な場面で多くのことや人と出会うと思います。例えば高2の皆さんは,沖縄でいろいろなものに出会えましたよね。比嘉さんのお話や,沖縄尚学との交流会,糸数壕に入ったこと,そこで考えたこと出会ったことはその時その場で自分が体験して自分なりの受け止め方をして自分の中にあることです。写真などで記録に残して,後から見るのも,楽しいことだけど,写真を取る,ムービーを撮るという作業ではなく,その瞬間,瞬間を大切に過ごすことに集中して,自分自身の中に記憶の中に残していくのもなかなかいいものです。なんでも映像として記録することがたやすくできる時代になった分,何かを体験する時間,何かに出会う時間を十分に味わい,楽しさをかみしめたり,考えさせられたりしながら時を過ごすことが薄れてきているのではないかなと思いました。

2014年10月23日 (木)

放送礼拝より  ~増原先生(数学科)

旧約聖書1045ページ コヘレトの言葉9章11節

「足の速い者が競走に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない。知恵があるからといってパンにありつくのでも、聡明だからといって富を得るのでも、知識があるといって好意をもたれるのでもない。時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ。」

「頑張っていれば、いつか報われる。持ち続ければ、夢はかなう。そんなのは幻想だ。たいてい、正義は勝てやしない。たいてい夢はかなわない。そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。けれど、それがどうした?スタートはそこからだ。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度もやる。さあ、昨日までの自分を超えろ。昨日までのHondaを超えろ。負けるもんか。」 自動車メーカー ホンダのCMです。

「持ち続けていれば、夢はかなう。そんなのは幻想だ。たいてい夢はかなわない。」とありますが、まさにその通りだと思います。ですが、私は高校生のころから教師になりたいと夢を持ち、実際に夢はかない今教師をしています。「夢は持ち続けたらかなうよ!」とみなさんには言える資格があるかもしれません、しかし、そんなことこれっぽっちも思っていません。なぜなら夢がかなわなかった経験のほうがはるかに多いからです。中学高校の6年間はずっとハンドボールをしていました。ハンドボールをするために中学高校を選んだといっても過言ではありません。6年間の目標・夢は高校3年生自分のチームでインターハイ・全国大会に出場すること。GWや夏休み、休みの日もなく毎日練習しましたが、結論を言うと出場することはできませんでした。1回しかないチャンスを逃し、6年間の努力が無駄になったと考えたこともあります、切り替えることができず学校を休んだことだってあります。ですが、立ち直り、それまでの自分を超えることができました。それは「教師になりたいという」夢があったからです。6年間の夢がかなわなかったことが新たなスタートでした。この挫折から立ち直りの経験が今の生き方を支えていると思います。ホンダの創業者である、本田宗一郎がこのようなことを言っています。「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」

これからの人生の中で、みなさんにとっての試練という時と機会は必ず訪れます。仮に打ちのめされたとしても、そこをスタートにして、さまざまな時間を惜しみ、何度も何度も努力して、さらに強くなった自分になっていってほしいと思います。

2014年9月29日 (月)

放送礼拝より  ~寺本先生(国語科)

ルカによる福音書17章19節 

「それからイエスはその人に言われた。立ち上がっていきなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 突然ですが、皆さんは信じる、という漢字を頭に思い浮かべる事ができますか。信仰の「信」という漢字です。次に「者」という漢字を思い浮かべてください。「者」とは人間を指す方の「者」です。それでは「信」という文字の右隣に「者」という漢字をくっつけて配置してください。最後に「者」という漢字の中にある「日」、の上に点をちょんと置いてみてください。そうすると別の一つの漢字になります。なんという漢字になるかわかりますか?信じるに者、そして点、と書いて、「儲ける」の意味の漢字になります。これは私が発見したことではなくある映画で紹介されていたことです。その映画の中で、登場人物が「信じる者は儲かるのだ!」といって今のこの「儲」もうけるという文字を掲げるシーンがあったのです。

今回の聖書箇所もまさに「信じる者が儲けた」というケースなのではないでしょうか。

信じる者は儲かる、あの映画のシーンを見てからというもの、ずっと私の中でひっかかっている言葉です。

考えてみれば「信じる」ということは非常に難しいことですよね。高3の皆さんは特に日々感じているのではないか、と思います。果たしてこの勉強法を実践してこの先やっていけるのか。自分をどこまで信じてやっていけばいいのだろう。などなど。特に逆境の中にあったりすると余計に「信じる」心というのは揺らいでしまいます。しかしながら、逆境の中でこそ、信じる心というのが助けになると思うのです。ここで少し私自身の話をしようと思います。

高校生の皆さんと過ごしていると、しょっちゅう自分の高校時代のことを思い出します。どんな子だった?と聞かれたら、自分に自信が持てない子だったと答えるでしょう。自信というのは自分を信頼すること、ということですから、要は自分を信頼できなかった子供ということです。勉強においても部活の中でも、この人には敵わないという存在が身近にいたからでしょうか。本当に自分に自信が持てませんでした。冴えない気持ちを抱えたまま高3になり、しょっぱなに受けた模試ではE判定のラッシュ。私の自信は木っ端微塵になりました。もう自分を信じられない…そんな時にわらをもすがる思いで私が頼ったのは「私以外の人」でした。学校の先生がこの単語の知識は入試に必要だ!と言えば必死でそれを覚えました。この問題集がいいと聞けばそれをすぐさま購入し、やっていきました。がむしゃらだったように思います。途中何度も面接で担任の先生の前でべそをかいたことを思い出します。そのたびに慰めてもらい、「あきらめずにがんばれば大丈夫だから」という言葉を信じて日々を過ごしていました。その時の勉強法が正しかったのか、今となってはわかりませんし、その当時も確信があったわけではありません。ただもう悩むよりもやるしかない、という心で突っ走っていっていました。そしてとうとう入試の日を迎えました。当日の私はえらく冷静でした。ただ心の中にあったのは、あれだけやったんだから何とかなるはずだ。という思いだけでした。自分を信じている感覚、そんな実感があったのです。もちろん様々な大学の試験を受けていると、今日のは何とかならなかった…という時も正直あったのですが、それはそれ。明日受ける大学の問題は絶対いけるぞ、とそれこそ信じこんで引きずらないようにしました。絶対いけるという確たる根拠はもちろんありません。ただあるのは先程もいったように「あれだけ勉強したんだから」という思いだけでした。自分のこれまでしてきたこと、そして自分自身を信じる心に最後は支えられていたように思います。自分に自信が持てないところからスタートした受験生活はこのような思わぬ結果を招くことになりました。しかし今考えてみれば、私は自分以外の人を信じ、そして最後に自分を信じたことで結局は良かった、つまり儲けることができたなと思うのです。

高校時代の私のように自分に自信を持てない人、というのは多くいると日々実感します。10代というのはそんな時期なのかもしれません。でもそんな時にこそ、誰かにかけてもらった励ましの言葉や、助言を素直に信じて何かしてみると良いかもしれません。「あなたならできるよ」という言葉に対し「いえいえ私なんて…」と思わず、試してみること。授業中に先生が言った「この知識は必ず役に立つから!」という言葉を信じて勉強してみること。信じて何かに必死に取り組んでみればそれがいつの間に自分を信頼する、自分に自信を持つための材料となっているかもしれません。そして自分を信頼することができれば、また更に次の一歩を踏み出すことができるかもしれません。もちろんここでのポイントは、信じた後に何かに取り組むということです。何から何まで信じてそれで終わり、ということは盲信ですし、何も努力しないで自分に自信をもつことはそれこそ過信になってしまいます。

「信じる者は儲けるのだ!」自分に自信を持てない時こそ、不安でたまらない時こそこの言葉を思い出し、何かを信じ、ひたすら前を見て進んでいってください。きっとその先に見えてくるものがあると私は思います。

 

お祈りをします。神様今日も新しい朝をありがとうございます。

どうか私達に何かを信じて邁進する強さを授けてください。

この感謝と祈り、主の御名によって祈ります。アーメン。

2014年8月29日 (金)

放送礼拝より ~小田先生(数学科)

 旧約聖書 2章25節から

「自分で食べて 自分で味わえ。

 神は, 善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。」

突然ですが、みなさんは「何のために勉強するのか」もしくは「何のために学校に行くのか」という疑問を持ったことがありますか。特に私は数学を教えているので、「数学なんて大人になって使わない」と言われることがよくあります。この言葉を先生にぶつけると「使わないから勉強しない、はオカシイ」という説教が返ってくることが多いと思いますが、それはさておき、生徒のみなさんからそう投げかけられる度に思い出すことがあります。

大学時代、学園祭で喫茶店をやることになり、内装のコンセプトが西洋風だったので、縦長の楕円形の鏡を段ボールでつくるという作業をしていた時のことです。友人と「楕円ってどうやって書くんだったっけ?」という話になり、実は一本の紐さえあれば簡単に書けるのですが、式を立てたりして、小1時間盛り上がったことがあります。これが、私が一番に思い出す、みんながよく言う日常生活のなかで数学やっていてよかったと思った出来事です。楕円なんて書かないし、、でしょうか。実はこの時、小1時間の議論の末、一本の紐に行きつかなかったのです。だから、楕円は実際には適当に書きました。私がこの時のことを鮮明に覚えているのには持てる知識を駆使して楕円が描けたからではない、別の理由があります。それは、大学で新しくできた友人、つまり別の場所で勉強してきた友人が私と同じ知識を持っていて、それを共有できたことが不思議なほどに楽しかったのです。

こんな経験はきっとみなさんにもあるでしょう。新しくできた友達が、前から仲の良かった○○と友達だったり、自分が好きなタレントや漫画のことを同様によく知っていたりすると、その人との距離がぐっと近づく。共通の話題を見つけ、それについて話すことでコミュニケーションをとることができる。そう考えると、同じ知識を持っているということは、コミュニケーションをとるうえでとても大切なことなのではないかと思えてきます。

数年前、カンボジアに行ったときに、5歳くらいの少年たちが「ニコニコサンコ!」と言って笑顔を向けてくれました。こちらの返答を必要としないその言葉には、日本人である私たちに対して「日本語知ってるよ!仲良くしよう!」というメッセージのようなものを感じました。それを聞いて、私はその子たちにすごく親近感を覚えました。自分のことを知ってくれているというのはうれしいものです。逆に、その時、私のほうは、道端でボロボロの服を着たその子たちの状況も、どんな言葉を話しているのかということも全く知りませんでした。それではコミュニケーションは成り立ちようがありませんでした。知らない、興味を持たないということはコミュニケーションをとるうえでとてつもなく障害になるのだということをこの経験もあって最近考えています。

そして、ここまでに挙げてきた話からも分かってもらえると思うのですが、同じ知識を共有している集団というのは安心できます。自分の身の回りの半径を小さくしていくほど、知識の「同じ」レベルは上がっていきます。日本、広島、女学院、クラス、仲良しグループというように集団のレベルを小さくしていくと、言語や歴史認識の話から昨日見ていたテレビの話まで「同じ」のレベルは上がります。持っている知識が近いと、考えが似てくることは自然だろうと思います。だから、今私たちが毎日過ごしている集団というのは、もっとも考え方が似てしまっていて当然の集団なのかもしれません。

私は大学で広島を出て、広島では出会うことのなかった「日本は核を持つべき」という考えの人に出会いました。広島の友人は、それぞれに祖父母から話を聞いていたりして、感情的な部分でも分かり合えるものがあり、特に自分の考えを話すことなんてありませんでした。しかし、その集団を離れて一人、自分が当たり前だと思っていたことに異を唱える人を説得することはとても困難なことでした。もちろん結論なんか出せるわけもなく、最終的に「話せて良かった。ありがとう」とお互いに言って、その会話は終わりました。

今いる集団を一歩出ると、平和観だけではなく、人権問題にしても、そこには得ている知識も考えも違う人がたくさんいます。そんな人と出会う度に自分の考えが揺らぎそうになることがあります。もちろん良い考えなら取り入れたら良いのですが、戦うべきこともたくさんあります。そんなときには、何度でも一緒に学んでいる友達を頼ってほしいと思います。そのために、広島で、女子校で、ともに学んでいる、知識を共有していることの意義は大きいのではないかと思います。外に出ていくときにこそ、一緒に学んでいる友達の存在が最大の力になります。

さて、今日もテストです。今学んでいることを振り返るとともに、一緒に学んでいる仲間の存在にも感謝しつつ、決済のときを精一杯頑張りましょう。

  

それでは、お祈りをします。

神様、新しい朝を感謝します。

さまざまな物事を知ることが、新しい出会いを呼ぶことを心に留め、仲間と学ぶこのときを、私たちが大切に過ごしていけますように。

 また、登校中の友達の足をお守りください。

 この感謝と小さき祈り、主イエス・キリストの御名をとおして御前にお捧げします。アーメン

2014年6月21日 (土)

中3による礼拝感話

女学院では、毎朝礼拝をもって一日を始めます。日替わりで、全校生徒が聞く「放送礼拝」やホールに集まって行う「ホール礼拝」、学年ごとに集まって行う「学年礼拝」が行われます。その中で、教員や生徒が一人、聖書の成句を選び、その成句に基づいたお話をします。それが「感話」です。毎日の礼拝によって、話す者だけでなく、聞くも考えを深めていきます。今日は、中3生とによる礼拝感話をご紹介します。


聖句 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。

聖書箇所 新約聖書フィリピの信徒への手紙 4-13

 わたしの将来は貧しい地域の子供たちのために、現地へ行って教育面で支援をすることです。私がそのように思うようになったのは小学生の頃です。もともと私には教師になりたいという夢がありましたが、小学校で貧しい地域のことを学ぶとき、先生に「貧しい国の人たちへ私たちができることを書きましょう」と言われ、「子供たちに勉強を教えてあげること」と書きました。

 その時は貧しい国の実情など深く考えもせずに書いたのですが、その後、貧しい国と豊かな国の違いについてDVDを見て私はショックを受けました。そこには骨がでっぱり、栄養失調のためにお腹が出ている子供たちがたくさん映し出されていました。彼らは5歳になる前に半数以上が亡くなってしまうそうです。私はDVDを見て、この子たちに必要なのは先生でも教育でもない、食べ物なのだと思いました。どれだけ勉強ができても死んでしまうのでは意味がない。彼らにまず生きていくためのたくさんの助けが必要だと知りました。

 しかし、そのような現実をしった上で私はあえて教育面での支援をしたいと考えています。たしかに幼いうちに命を落としてしまえば、教育をしても仕方ないかもしれません。しかし小学校の学習の中で、実際に支援されている人がこんなことをおっしゃっていました。「形のないものでも支援はできる。たとえば教育とか、日本の技術を教えることとか。」その言葉を聞いて私は勉強を教えることで、子供たちの助けになるのであれば、教育面で貧しい国を支援していきたいと改めて思うようになしました。

 いろいろ教えていくことがある中で、私は特に英語を教えたいです。なぜなら英語は世界の共通語で、英語が話せるとこれからの社会ですごく役に立つだろうし、その教えた子供たちがまた同じように貧しい子供に勉強を教えてあげたり、世界で働けるようになったりしたらいいなと思うからです。

 そこで私はどうしたら海外で教育支援ができるのか調べてみました。すると数ある支援組織の中の一つとして日本に海外教育支援協会という団体があることが分かりました。そこではフィリピンのルソン島の山奥にあるライバン村の支援をしています。具体的には、現地で勉強を教えたり、農作業の手伝いをしたり、日本国内でもチャリティコンサートをしたり、村で作った作物を売ったりしています。そしてその収益金をライバン村に寄付しています。

 さきほど、私は現地に赴き、教育支援をしたいと言いました。もちろん、それが一番の目標です。でも、私は健康上の理由で現地へ行くことが叶わないかもしれません。そのときは国内からでも貧しい地域のために支援をしていきたいと思っています。

 ただ今日の聖句でも「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」と言っています。私には支えてくれる人たちがたくさんいます。まだ、時間も十分あります。だから自分で決めた夢を叶えられるように体力をつけ、勉強もがんばろうと思います。

2014年5月30日 (金)

放送礼拝より ~オサラバン先生(英語科)

 Please take out your bible. Today’s bible reading will be from the New Testament Romans chapter 5 verse 3 to 4. Page 279 in your NT.

I recently was given some books by a friend. One of the books Man’s Search for Meaning in Japanese it is called  yoru to kiri.

It is old but a very popular book, it has sold millions of copies. The main theme of this book is that even in the worst possible moments, life has meaning. This book talks about the author’s life in WW2 Germany and the terrible pain he went through. But he survived and was able to start a new life with the thought that life always has meaning.

How can you relate to that? When school or life is not treating you kindly or fairly, try to just remember your life and all your experiences have meaning. Sometimes it is difficult for us to realize it but it does have meaning. 

 

A short prayer. Dear Lord, we thank you for this day helps us to remember that all good and bad things in our life have meaning. We ask this through Christ our Lord, Amen.

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2014年3月 1日 (土)

2014年3月1日 卒業礼拝 星野校長あいさつ

高校3年生の皆さん、広島女学院高等学校のご卒業おめでとうございます。又、保護者の皆様がた、今日こうしてお嬢様方が女学院での6年の学びを終えて新しく旅立たれる日を迎えられましたことを心からお喜び申し上げます。

6年前の4月7日の火曜日の入学礼拝の日、皆さんはこの同じ席に座って私が皆さんの名前を一人一人呼びあげました。一体、担任の先生はどんな先生だろう、友達は出来るだろうかと、色々な思いを交錯させながら座っていたことでしょう。1組は学年主任の中村順子先生、2組は伊藤先生、3組は濵岡先生、4組川上先生、5組は中山先生でしたね。当時のアルバムを見ると、あどけない顔で桜の木の下でクラス写真を撮っている姿が残っています。中2の時には九重山登山がインフルエンザの蔓延で中止になり、USJへの遠足に振り替えるという事もありました。こうして皆さんを前にするとこの6年間がどんなに大きな月日であったかを実感し、心に迫るものがあります。

さて今日は皆さんに聖書の中からお話をしたいと思います。

主イェスを十字架につけるためユダヤ人たちは彼を犯罪人として訴え、裁判に立ち会ったローマ総督ピラトは罪を認められず無罪としましたが、訴えた者たちの「十字架による死を!」の声が勝ちました。他の二人の罪人と共に、有罪を宣告された者は鞭打たれ、自分の架けられる十字架を刑場まで運ばなければなりません。しかしイェスは途中で力尽き、運ぶことが出来なくなってしまいました。その日、多くの人々が見物に来ていた中にキレネ(北アフリカ・リビア)出身のシモンという一人の男がいました。何かのついでに見物に来たのでしょうが、兵士はたまたまそこにいたシモンに強制的に十字架を運ばせました。第三者として見物するつもりだったのに突然当事者になったのです。ローマ兵に命じられては逆らうことも出来ず、無理やり十字架を担がされ、悪い事をした訳でもないのに罪人達の一人のように死刑の道具を背負って歩くことになりました。シモンの衝撃はどんなだったでしょう。ゴルゴタの丘へ着くまでの道のり、イェスに対して嘲りや醜いことばが投げかけられ、一方ではイェスを慕う人たちの嘆きの声が聞こえる中、シモンはイェスの一挙手一投足を見、苦しい息遣いをごく間近で感じながら、鞭で激しく傷ついたその後姿をじっと見続けながら歩いたのでしょう。一体なぜこの人は十字架につかなければならなかったのか、と問いつつ。この短い間の出来事を通して、シモンにとってイェスはただの見知らぬ犯罪人から無視できない人物となり、後には信仰において彼に従う者と変わったと考えられます。聖書には明確に書かれているわけではありません。しかしマルコの福音書の記述の中の「アレクサンドロとリュポスの父シモン」と言う一行がそれを暗示するのです。マルコがわざわざこの名前を書いたのは、2人が当時の教会では良く知られていた信徒であったと思われるからです。(友達同士で、「あの人、○○ちゃんのお父さんよ。」と言う時の感じです。)と言うことは、シモンはあの事件を機にイェスに従う者となり、子ども達も同じ信仰を持ったと考えられるのです。そう考えると不思議です。刑場見物に行って偶然に関わらされた迷惑な男イェスの十字架の死が実は自分の罪の為であった事を知った時から、あの十字架途上の不運な出会いの思い出は、今や素晴らしい出会いの思い出と変わったのです。彼はキリストと出会った新しい人生について語る時には、いつもこの不思議な出会いの事を人々に語ったことでしょう。

女学院中高6年間の毎朝の礼拝で開いてきた聖書はこの価値の変換、つまり自分の目や一般の社会通念ではマイナスであると考えられる事が、神と言う視点を通して全く違った意味を与えられ輝きだすという、ダイナミックな変換を教えてくれるのです。皆さんが社会に出て行った時、家族を離れて一人で生活する時、押し付けられたような思いがけない行き詰まりを感じる時があるでしょう。しかし、決して一人で煮詰まらないでください。その現実にはあなたのまだ気が付いていないもう一つの現実があり、私達には選択ができるのです。大藪順子さん(強調週間講師・カメラマン)が、受けた性被害の苦しみの中から、bitterよりもbetterに、pitifulよりもpowerfulに生きることを選択し、立ち直るとともに同じ苦しみを負う人の力となって生きておられる姿を思い出します。どうかどんな時にももう一つの現実を忘れずに「命に向かう選択」をし続けてください。

あの強調週間の最終日に代表の生徒による感想発表がありました。その中でD組のKさんがこんな話をしてくれました。『自分がどうなりたいのか、どう生きていたいのか考える事で、自分を救う選択ができるのだと思います。日々の小さな選択から、大きな決め事まで様々ありますが、私には選択する権利があるという事を胸に、またその選択は当然ながら責任を伴うという事を忘れずにすごしていきたいと思います。私は新入生に贈る聖書袋のラッピングや「人生とキリスト教」というテーマで楽しく歌った讃美歌のことを考えながら、自分が6年前にした選択のことを考えました。女学院に行くという選択をしていなかったら、今日のように充実した時間を過ごす事もなかったし、讃美歌を歌う事もなかったでしょう。そう思うとこの選択をした自分を誇らしく思うと同時に、自分が選択した事というのは、全て繋がっているんだと実感しました。』

私はこの言葉をきいてとても心を動かされました。皆さんが今日ここに女学院の第66回生として居るのも、様々な選択の結果です。そこには皆さん本人以外の選択も含まれているでしょう。これからは益々自分で決断をしなければならなくなる事も増えるでしょう。私は今日という日に、皆さんに約束してほしいのです。どの様な時にも、簡単な選択の時も、たとえ行き詰まって出口が見えないと思う時も、ひと時落ち着いて、「私は命へ向かう選択をします。」と自分の心の中で宣言してほしいのです。あなたの人生を目に見える現実だけで安く見積もらないでください。 その意味で恵みを与えられている人生は厳しさを伴っています。神様が与えてくださっている尊い価値(私はこんなにもかけがえのない者として愛され、命を与えられている事の発見)に達するまで私達の人生は終わりません。

どうか、力強く歩んでください。女学院を母校としていつでも帰ってきてください。お待ちしています。