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2014年10月25日 (土)

今日の高校放送礼拝より~担当:中村先生(理科)

「わたしたちは見えるものではなく,見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが,見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙 二 4章18節)   

  桜の葉が赤く色づいてきました。上空通路からぜひ見てみてください。植物たちは誰にも何も言われないのに季節の移り変わりとともに,姿を変えていきますね。春には薄ピンクの花が満開になり,その後は青葉がみるみる出てきて,そして寒くなるにつれて紅葉していき,葉を落とす。花や葉などのあの鮮やかなそして様々な色をどうやって植物の中で作り出しているのだろうと感心します。こういうことを思うのは,年を取ってきたからかもしれませんが,みなさんも秋の空の青さや,夜の満月,色づく葉などを時には感じる余裕が持てるといいですね。

 いくら科学技術が発展して,テレビ,写真,動画,新聞など様々なメディアを通して様々なものを知ることができても,実際に目で見たり,体験したりすることにはかなわないと思います。この春に担任していた,高3の生徒たちが,卒業式の後,高校チャペルで,教員と一緒に卒業を祝う会を企画してくれました。生徒たちが,いろいろな先生から前もって,いただいたメッセージを集めたムービーを作ってくれていて,それを見ました。また,高3の教員は,実は少し前から松重先生のピアノの演奏のもと,歌を練習していて,それを最後に歌いました。あのときの,あの場の雰囲気,面白いメッセージに爆笑しながらも,別れの時がついにやってきた何とも言えない悲しさ。うれしいんだけどせつない。あの雰囲気はあの場にいたメンバーしかわからない貴重な時間だったと思います。様々な電子機器が発達するにつれて,私たちは様々な心動かされる瞬間や,楽しいことなどを,写真,映像としてカメラなどで撮影して記録に残したいと思いがちです。だけど,映像に残さないからこそ,その時間をしっかり過ごせる,味わえるということもあると思います。そして,ときどきその思い出を反芻しながら,自分の中でかみしめていく。もしかしたら,自分なりに脚色したり,少し記憶を美しく変えてしまったりしているかもしれないけれど,何か自分が受けた感動や衝撃を,自分の中で振り返ってみるということもいいことじゃないかなと思うのです。卒業を祝う会のムービーをコピーしてみんなに配りたいという生徒もいました。でも,あれはあの時あのメンバーで見たからこそ,後から何回も見ることができるとは思わないで,その時にそれに集中して見て,そしてみんなで共有した雰囲気の中で見たからこそ,よかったのであって,家に帰ってから見るのはちがうんじゃないかなと思い,それはしないことにしました。

 皆さんも様々な場面で多くのことや人と出会うと思います。例えば高2の皆さんは,沖縄でいろいろなものに出会えましたよね。比嘉さんのお話や,沖縄尚学との交流会,糸数壕に入ったこと,そこで考えたこと出会ったことはその時その場で自分が体験して自分なりの受け止め方をして自分の中にあることです。写真などで記録に残して,後から見るのも,楽しいことだけど,写真を取る,ムービーを撮るという作業ではなく,その瞬間,瞬間を大切に過ごすことに集中して,自分自身の中に記憶の中に残していくのもなかなかいいものです。なんでも映像として記録することがたやすくできる時代になった分,何かを体験する時間,何かに出会う時間を十分に味わい,楽しさをかみしめたり,考えさせられたりしながら時を過ごすことが薄れてきているのではないかなと思いました。