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2014年6月21日 (土)

中3による礼拝感話

女学院では、毎朝礼拝をもって一日を始めます。日替わりで、全校生徒が聞く「放送礼拝」やホールに集まって行う「ホール礼拝」、学年ごとに集まって行う「学年礼拝」が行われます。その中で、教員や生徒が一人、聖書の成句を選び、その成句に基づいたお話をします。それが「感話」です。毎日の礼拝によって、話す者だけでなく、聞くも考えを深めていきます。今日は、中3生とによる礼拝感話をご紹介します。


聖句 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。

聖書箇所 新約聖書フィリピの信徒への手紙 4-13

 わたしの将来は貧しい地域の子供たちのために、現地へ行って教育面で支援をすることです。私がそのように思うようになったのは小学生の頃です。もともと私には教師になりたいという夢がありましたが、小学校で貧しい地域のことを学ぶとき、先生に「貧しい国の人たちへ私たちができることを書きましょう」と言われ、「子供たちに勉強を教えてあげること」と書きました。

 その時は貧しい国の実情など深く考えもせずに書いたのですが、その後、貧しい国と豊かな国の違いについてDVDを見て私はショックを受けました。そこには骨がでっぱり、栄養失調のためにお腹が出ている子供たちがたくさん映し出されていました。彼らは5歳になる前に半数以上が亡くなってしまうそうです。私はDVDを見て、この子たちに必要なのは先生でも教育でもない、食べ物なのだと思いました。どれだけ勉強ができても死んでしまうのでは意味がない。彼らにまず生きていくためのたくさんの助けが必要だと知りました。

 しかし、そのような現実をしった上で私はあえて教育面での支援をしたいと考えています。たしかに幼いうちに命を落としてしまえば、教育をしても仕方ないかもしれません。しかし小学校の学習の中で、実際に支援されている人がこんなことをおっしゃっていました。「形のないものでも支援はできる。たとえば教育とか、日本の技術を教えることとか。」その言葉を聞いて私は勉強を教えることで、子供たちの助けになるのであれば、教育面で貧しい国を支援していきたいと改めて思うようになしました。

 いろいろ教えていくことがある中で、私は特に英語を教えたいです。なぜなら英語は世界の共通語で、英語が話せるとこれからの社会ですごく役に立つだろうし、その教えた子供たちがまた同じように貧しい子供に勉強を教えてあげたり、世界で働けるようになったりしたらいいなと思うからです。

 そこで私はどうしたら海外で教育支援ができるのか調べてみました。すると数ある支援組織の中の一つとして日本に海外教育支援協会という団体があることが分かりました。そこではフィリピンのルソン島の山奥にあるライバン村の支援をしています。具体的には、現地で勉強を教えたり、農作業の手伝いをしたり、日本国内でもチャリティコンサートをしたり、村で作った作物を売ったりしています。そしてその収益金をライバン村に寄付しています。

 さきほど、私は現地に赴き、教育支援をしたいと言いました。もちろん、それが一番の目標です。でも、私は健康上の理由で現地へ行くことが叶わないかもしれません。そのときは国内からでも貧しい地域のために支援をしていきたいと思っています。

 ただ今日の聖句でも「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」と言っています。私には支えてくれる人たちがたくさんいます。まだ、時間も十分あります。だから自分で決めた夢を叶えられるように体力をつけ、勉強もがんばろうと思います。