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2014年8月29日 (金)

放送礼拝より ~小田先生(数学科)

 旧約聖書 2章25節から

「自分で食べて 自分で味わえ。

 神は, 善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。」

突然ですが、みなさんは「何のために勉強するのか」もしくは「何のために学校に行くのか」という疑問を持ったことがありますか。特に私は数学を教えているので、「数学なんて大人になって使わない」と言われることがよくあります。この言葉を先生にぶつけると「使わないから勉強しない、はオカシイ」という説教が返ってくることが多いと思いますが、それはさておき、生徒のみなさんからそう投げかけられる度に思い出すことがあります。

大学時代、学園祭で喫茶店をやることになり、内装のコンセプトが西洋風だったので、縦長の楕円形の鏡を段ボールでつくるという作業をしていた時のことです。友人と「楕円ってどうやって書くんだったっけ?」という話になり、実は一本の紐さえあれば簡単に書けるのですが、式を立てたりして、小1時間盛り上がったことがあります。これが、私が一番に思い出す、みんながよく言う日常生活のなかで数学やっていてよかったと思った出来事です。楕円なんて書かないし、、でしょうか。実はこの時、小1時間の議論の末、一本の紐に行きつかなかったのです。だから、楕円は実際には適当に書きました。私がこの時のことを鮮明に覚えているのには持てる知識を駆使して楕円が描けたからではない、別の理由があります。それは、大学で新しくできた友人、つまり別の場所で勉強してきた友人が私と同じ知識を持っていて、それを共有できたことが不思議なほどに楽しかったのです。

こんな経験はきっとみなさんにもあるでしょう。新しくできた友達が、前から仲の良かった○○と友達だったり、自分が好きなタレントや漫画のことを同様によく知っていたりすると、その人との距離がぐっと近づく。共通の話題を見つけ、それについて話すことでコミュニケーションをとることができる。そう考えると、同じ知識を持っているということは、コミュニケーションをとるうえでとても大切なことなのではないかと思えてきます。

数年前、カンボジアに行ったときに、5歳くらいの少年たちが「ニコニコサンコ!」と言って笑顔を向けてくれました。こちらの返答を必要としないその言葉には、日本人である私たちに対して「日本語知ってるよ!仲良くしよう!」というメッセージのようなものを感じました。それを聞いて、私はその子たちにすごく親近感を覚えました。自分のことを知ってくれているというのはうれしいものです。逆に、その時、私のほうは、道端でボロボロの服を着たその子たちの状況も、どんな言葉を話しているのかということも全く知りませんでした。それではコミュニケーションは成り立ちようがありませんでした。知らない、興味を持たないということはコミュニケーションをとるうえでとてつもなく障害になるのだということをこの経験もあって最近考えています。

そして、ここまでに挙げてきた話からも分かってもらえると思うのですが、同じ知識を共有している集団というのは安心できます。自分の身の回りの半径を小さくしていくほど、知識の「同じ」レベルは上がっていきます。日本、広島、女学院、クラス、仲良しグループというように集団のレベルを小さくしていくと、言語や歴史認識の話から昨日見ていたテレビの話まで「同じ」のレベルは上がります。持っている知識が近いと、考えが似てくることは自然だろうと思います。だから、今私たちが毎日過ごしている集団というのは、もっとも考え方が似てしまっていて当然の集団なのかもしれません。

私は大学で広島を出て、広島では出会うことのなかった「日本は核を持つべき」という考えの人に出会いました。広島の友人は、それぞれに祖父母から話を聞いていたりして、感情的な部分でも分かり合えるものがあり、特に自分の考えを話すことなんてありませんでした。しかし、その集団を離れて一人、自分が当たり前だと思っていたことに異を唱える人を説得することはとても困難なことでした。もちろん結論なんか出せるわけもなく、最終的に「話せて良かった。ありがとう」とお互いに言って、その会話は終わりました。

今いる集団を一歩出ると、平和観だけではなく、人権問題にしても、そこには得ている知識も考えも違う人がたくさんいます。そんな人と出会う度に自分の考えが揺らぎそうになることがあります。もちろん良い考えなら取り入れたら良いのですが、戦うべきこともたくさんあります。そんなときには、何度でも一緒に学んでいる友達を頼ってほしいと思います。そのために、広島で、女子校で、ともに学んでいる、知識を共有していることの意義は大きいのではないかと思います。外に出ていくときにこそ、一緒に学んでいる友達の存在が最大の力になります。

さて、今日もテストです。今学んでいることを振り返るとともに、一緒に学んでいる仲間の存在にも感謝しつつ、決済のときを精一杯頑張りましょう。

  

それでは、お祈りをします。

神様、新しい朝を感謝します。

さまざまな物事を知ることが、新しい出会いを呼ぶことを心に留め、仲間と学ぶこのときを、私たちが大切に過ごしていけますように。

 また、登校中の友達の足をお守りください。

 この感謝と小さき祈り、主イエス・キリストの御名をとおして御前にお捧げします。アーメン