« 中秋の一コマ | メイン | 中学新体操部 試合結果 »

2014年9月29日 (月)

放送礼拝より  ~寺本先生(国語科)

ルカによる福音書17章19節 

「それからイエスはその人に言われた。立ち上がっていきなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 突然ですが、皆さんは信じる、という漢字を頭に思い浮かべる事ができますか。信仰の「信」という漢字です。次に「者」という漢字を思い浮かべてください。「者」とは人間を指す方の「者」です。それでは「信」という文字の右隣に「者」という漢字をくっつけて配置してください。最後に「者」という漢字の中にある「日」、の上に点をちょんと置いてみてください。そうすると別の一つの漢字になります。なんという漢字になるかわかりますか?信じるに者、そして点、と書いて、「儲ける」の意味の漢字になります。これは私が発見したことではなくある映画で紹介されていたことです。その映画の中で、登場人物が「信じる者は儲かるのだ!」といって今のこの「儲」もうけるという文字を掲げるシーンがあったのです。

今回の聖書箇所もまさに「信じる者が儲けた」というケースなのではないでしょうか。

信じる者は儲かる、あの映画のシーンを見てからというもの、ずっと私の中でひっかかっている言葉です。

考えてみれば「信じる」ということは非常に難しいことですよね。高3の皆さんは特に日々感じているのではないか、と思います。果たしてこの勉強法を実践してこの先やっていけるのか。自分をどこまで信じてやっていけばいいのだろう。などなど。特に逆境の中にあったりすると余計に「信じる」心というのは揺らいでしまいます。しかしながら、逆境の中でこそ、信じる心というのが助けになると思うのです。ここで少し私自身の話をしようと思います。

高校生の皆さんと過ごしていると、しょっちゅう自分の高校時代のことを思い出します。どんな子だった?と聞かれたら、自分に自信が持てない子だったと答えるでしょう。自信というのは自分を信頼すること、ということですから、要は自分を信頼できなかった子供ということです。勉強においても部活の中でも、この人には敵わないという存在が身近にいたからでしょうか。本当に自分に自信が持てませんでした。冴えない気持ちを抱えたまま高3になり、しょっぱなに受けた模試ではE判定のラッシュ。私の自信は木っ端微塵になりました。もう自分を信じられない…そんな時にわらをもすがる思いで私が頼ったのは「私以外の人」でした。学校の先生がこの単語の知識は入試に必要だ!と言えば必死でそれを覚えました。この問題集がいいと聞けばそれをすぐさま購入し、やっていきました。がむしゃらだったように思います。途中何度も面接で担任の先生の前でべそをかいたことを思い出します。そのたびに慰めてもらい、「あきらめずにがんばれば大丈夫だから」という言葉を信じて日々を過ごしていました。その時の勉強法が正しかったのか、今となってはわかりませんし、その当時も確信があったわけではありません。ただもう悩むよりもやるしかない、という心で突っ走っていっていました。そしてとうとう入試の日を迎えました。当日の私はえらく冷静でした。ただ心の中にあったのは、あれだけやったんだから何とかなるはずだ。という思いだけでした。自分を信じている感覚、そんな実感があったのです。もちろん様々な大学の試験を受けていると、今日のは何とかならなかった…という時も正直あったのですが、それはそれ。明日受ける大学の問題は絶対いけるぞ、とそれこそ信じこんで引きずらないようにしました。絶対いけるという確たる根拠はもちろんありません。ただあるのは先程もいったように「あれだけ勉強したんだから」という思いだけでした。自分のこれまでしてきたこと、そして自分自身を信じる心に最後は支えられていたように思います。自分に自信が持てないところからスタートした受験生活はこのような思わぬ結果を招くことになりました。しかし今考えてみれば、私は自分以外の人を信じ、そして最後に自分を信じたことで結局は良かった、つまり儲けることができたなと思うのです。

高校時代の私のように自分に自信を持てない人、というのは多くいると日々実感します。10代というのはそんな時期なのかもしれません。でもそんな時にこそ、誰かにかけてもらった励ましの言葉や、助言を素直に信じて何かしてみると良いかもしれません。「あなたならできるよ」という言葉に対し「いえいえ私なんて…」と思わず、試してみること。授業中に先生が言った「この知識は必ず役に立つから!」という言葉を信じて勉強してみること。信じて何かに必死に取り組んでみればそれがいつの間に自分を信頼する、自分に自信を持つための材料となっているかもしれません。そして自分を信頼することができれば、また更に次の一歩を踏み出すことができるかもしれません。もちろんここでのポイントは、信じた後に何かに取り組むということです。何から何まで信じてそれで終わり、ということは盲信ですし、何も努力しないで自分に自信をもつことはそれこそ過信になってしまいます。

「信じる者は儲けるのだ!」自分に自信を持てない時こそ、不安でたまらない時こそこの言葉を思い出し、何かを信じ、ひたすら前を見て進んでいってください。きっとその先に見えてくるものがあると私は思います。

 

お祈りをします。神様今日も新しい朝をありがとうございます。

どうか私達に何かを信じて邁進する強さを授けてください。

この感謝と祈り、主の御名によって祈ります。アーメン。